「わかるものだとばかり思っていたのね」

「わかるものだとばかり思っていたのね」

「わかるものだとばかり、思っていたのね……」vol.08, l.4069

読者への挑戦状。直接の問いは「誰が」「何を」であって、しかしこれらは「八幡や結衣が、雪乃の立候補の意図を」だと城巡めぐりによって示されている。あるいは平塚も 「奉仕部のため、あるいは雪ノ下のためだ」 / 「一色の一件の後、雪ノ下が報告に来た。」 / 「それは君も同じか?」vol.09, l.2765 として、雪乃の立候補は奉仕部のためだ、と明示している。

本稿ではさらに、この挑戦状がハウダニット、 あの生徒会選挙の時、なぜ雪ノ下雪乃が立候補しようとしたのかvol.09, l.4260 、だとして、生徒会長選を通しての雪乃の感情の変化を推定する。このとき、 「心理と感情は常にイコールなわけじゃない。ときにまったく不合理に見える結論を出してしまうのはそのせいだ。……だから、雪ノ下も由比ヶ浜も、君も、まちがえた答えを出す」vol.09, l.2699 に従い、雪乃や結衣は何かをまちがえた、とする。

少なくとも8巻以降「本物が欲しい」に至るまで雪乃の心理も感情も描写されない。本稿はこれを推定する。

前提

まず、以下の前提をおく。

  1. 生徒会長選挙での雪乃はそもそも理解し得ない様に書かれている
  2. 生徒会長選挙は奉仕部の終焉に対する対策を問う場である。
  3. 嘘告白を経て三人は「結衣が告白しない」状態で妥協した。

生徒会長選挙での雪乃はそもそも理解し得ない様に書かれている

7巻から9巻、嘘告白、生徒会長選挙、クリスマスイベントは、八幡がかつて雪乃に押し付けた 理解されないことを嘆かず、理解することを諦める。vol.05, l.2260 という八幡の理想、あるいは 何も言わなくても通じて、何もしなくても理解できて、何があっても壊れない。vol.08, l.4169 という本物が、 現実とかけ離れた、愚かしくもきれいな幻想vol.08, l.4170 である事に気付くエピソードである。

つまり、生徒会長選挙編は、メタな視点では、八幡と雪乃が相互理解に至っていない事を示すエピソードであって、著者は意図的に雪乃の思考が理解し難い様に書いている、とする。

生徒会長選挙は奉仕部の終焉に対する対策を問う場である。

生徒会長選挙は馴れ合ってしまった奉仕部への対処、終焉に対する対策、を問う場である。なぜならば、生徒会長選編は すでに季節は冬と呼んでいいだろうvol.08, l.0050 であり、かつ、 この冬が始まった頃から、私たちはずっと、その終わりを意識していたのだからvol.14, l.1041

奉仕部の終焉に対する解を以下に示す。

三人は「結衣が告白しない」状態で妥協する。

「俺たちも普通にしてやるのが一番なんじゃねぇの」vol.08, l.0396 / 「あたしたちも普通に……、うん……」vol.07, l.0400 / 「それがあなたにとっての普通なのね」vol.08, l.0406 / 「変わらないと、そう言うのね」 / 諦めるような、終わってしまったような、そんな温度のない言葉だ。vol.08, l.0410

嘘告白による鬱屈、あるいはさらに奉仕部の終焉に対しての態度。「普通」「変わらない」「諦める」がキーワードである。

つまり、三人は、結衣は八幡に好意を表明せず、雪乃は結衣を八幡に譲る、という状態を維持する事で合意する。すなわち 俺が欲したのは、馴れ合いなんかじゃない。vol.08, l.4168 と後悔するその馴れ合いを維持する。

「そんなうわべだけのものに意味なんてないと言ったのはあなただったはずよ……」 / 雪ノ下は諦めたようにため息を吐いた。 / 「変える気は、ないのね」vol.08, l.1585

「うわべだけのもの」は結衣が告白の表明を封じる事で得られる三人の関係。八幡が結衣の行為の表明を封じた為に、雪乃が八幡からより明確に一歩引く決意をした、ということ。 これ以上、この部室にいても得る物が何もない。 / たぶん、失うだけだ。vol.05, l.1594 とあるので、八幡もそれを察している。

なお本編中には「うわべだけのものに意味はない」という八幡の発言は見つからない。言いそうではあるし、「うわべだけのもの」の定義も容易なので厳密に考える必要はなかろう。

なぜ雪乃は立候補したのか

その上で、雪乃の感情の変化を以下だと推定する。

  1. 雪乃は生徒会長になりたいがその理由がない。
  2. 結衣は普通に、八幡は変わらずに取り繕った会話ばかりする。
  3. 雪乃は問題と理由を見つける。
  4. 雪乃は八幡や結衣に生徒会長になりたい意思を言わなかった。
  5. 雪乃は八幡への協力の依頼を躊躇し、陽乃は八幡に協力を求める機会を消す。
  6. 雪乃の生徒会長選立候補が暴かれる。

1. 雪乃は生徒会長になりたいがその理由がない。

雪乃が生徒会長選立候補をいろはの相談以前から考えていた傍証。

当初の雪乃は八幡や結衣に生徒会への合流を依頼しようと考えていただろう。文化祭編、 「あなたを頼らせてもらっても、いいかしら」vol.06, l.3439 / 「頼ってもらって、構わない、から……」vol.06, l.3448 を経て、雪乃はこの時点では奉仕部の面々に頼る事ができる。

問題を与えられなければ、理由を見つけることができなければ、動き出せない人間がいる。 / 未だ不確かではあるけれど、それでも確かに想いがあって、だがその不確かさゆえに動き出せない人間がいる。vol.08, l.4089

八幡であり雪乃。雪乃は生徒会長に就きたかったが、しかしその理由がなく、かつその不確かさ、当選よりも結衣や八幡の協力が得られるか否か、ゆえに立候補しなかった、ということ。目的は奉仕部の終焉の回避、自立、であろう。

「私にできることが何もないって気づいてしまったから、あなたも姉さんも持っていないものが欲しくなった。……それがあれば、私は救えると思ったから」 / たぶんその問いの答えが彼女の『理由』なのだ。 / あの生徒会長選挙のとき、なぜ雪ノ下雪乃が立候補しようとしたのか。vol.09, l.4256

雪乃の立候補の意図。アイデンティティの獲得。八幡は生徒会長になり得ないし、陽乃も生徒会長にならなかった。

2. 結衣は普通に、八幡は変わらずに取り繕った会話ばかりする。

「何考えてるのかよくわかんなくなっちゃった」 / 「もともと。何を考えているかなんて私たちにはわからないわ」vol.08, l.0385

葉山らあるいは一般論を装って奉仕部について語っている。

雪乃も結衣も八幡が何を考えて嘘告白に及んだのかが解らず、しかし八幡が葉山らの人間関係の維持に協力したこと、間接的に奉仕部の現状維持を選んだこと、を察している。なお、彼女らは海老名の依頼を知らない。 「あなたのやり方、嫌いだわ」 参照。

「お互いを知っていたとしても、理解できるかはまた別の問題だもの」vol.08, l.0392

「今はあなたを知っている」vol.06, l.3971 を引く。

雪乃は、八幡が葉山らの「うわべだけのもの」の維持に積極的に協力した理由、奉仕部を変えない理由が解らない、と言っている。

「あんまり気にしすぎてもアレだ。俺たちも普通にしてやるのが一番なんじゃねぇの」vol.08, l.0396 / 「あたしたちも普通に……、うん……」vol.07, l.0400 / 「それがあなたにとっての普通なのね」vol.08, l.0406 / 諦めるような、終わってしまったような、そんな温度のない言葉だ。vol.08, l.0410

結衣は八幡の「普通に」、つまり自身の好意の表明の自粛に同意する。 納得できそうにない自身に言い聞かせるように小さく頷いたvol.07, l.0400

雪乃も基本的に同意し、しかし八幡から距離を置く決意をする。雪乃の「あなたにとっての普通なのね」には八幡を責める意図はない。責められている様に感じるのは八幡の自意識によるものである。むしろ雪乃は八幡のその「変わらない」という自意識、見栄、意地を尊重する。

「あなたは……、その……」vol.08, l.0406

八幡の糾弾されるのではないかという警戒はまちがっている。「あなたのやり方、嫌いだわ」の雪乃は攻撃的に描写されているが、しかしここでの雪乃は 言いづらそうに / 雪ノ下はぐっとスカートを握り込む。肩がわずかに震えていた。そして意を決したように喉をこくりと動かす。 として躊躇している。

結衣が 「ゆ、ゆきのん! あ、あの、あのさ……」vol.09, l.0417 として遮っていること、7巻から9巻にかけて八幡は他人の感情を理解しないと繰り返されていること、を根拠として、雪乃は八幡に、結衣に好意を持っているか、あるいは結衣の八幡への好意を知っているか、を聞こうとしたのではないかと考える。そして雪乃も結衣もその種の話題は躊躇するだろう。

3. 雪乃は問題と理由を見つける。

「いろはを生徒会長にさせないこと」という依頼が解くべき問題である。

「そのやり方を認めるわけにはいかないわ」 / 「……理由は?」 / 「その演説ってさ、誰が、やるのかな……。そういうの、やだな」vol.08, l.0699

雪乃らが動く理由の一つ。「八幡がひどい応援演説をするのが嫌だ」。

「すぐに結論は出なそうだな」vol.08, l.0756

平塚の視点ではすぐに出せる結論があるということ。単純に奉仕部の面々の生徒会への移行。

「今のところ、勝敗はどうなっていますか」vol.08, l.0775 / 「私と彼が同じやり方をとる必要はないということよ」vol.08, l.0821

齟齬。雪乃は、八幡と雪乃が異なる解法をとったとしても、「勝ったら何でも言うことを聞いてもらえる」を理由として、結衣や八幡を生徒会に誘える事を確認している。八幡は対立という解を取ると考えている。

「お互い無理して合わせたって意味ないしな」vol.08, l.0824 / 「致し方あるまい。君たちの好きにしたらいい。」vol.08, l.0827

少なくとも立候補者の擁立も妨害演説も平塚の想定解ではない。

「馴れ合いなんて、私もあなたも一番嫌うものだったのにね……」vol.08, l.0840

率直に、雪乃が八幡と協調できない事を悲しみ、協調を望む自身を、奉仕部の延命を望む自身を自嘲している表現。恐らくは勝敗に由来するお願いという形しか取れない自身を。

自嘲気味ですらある悲しげな微笑 というこの台詞の描写に攻撃的な要素はない。雪乃は八幡に対する皮肉を意図していない。が、「馴れ合い」という言葉と「だったのにね」という仮定法が、八幡あるいは読者をミスリードする。

4. 雪乃は八幡や結衣に生徒会長になる意思を言わない。

「なら、あなたのやり方には何の意味があるの?」vol.08, l.1551

雪乃のやり方には意味があるということ。奉仕部の生徒会への移行による延命。

「まだ、何か?」 / 「いや、確認がしたかっただけだ」 / 「……そう」 / 雪ノ下は返事ともため息ともつかない声を漏らすvol.08, l.2684

雪乃は八幡に立候補の意図を聞いて欲しい。なぜならば、 「いつか私を助けてね」vol.09, l.4194 まで、雪乃は八幡に願いを表現できない、から。

「変わらないわ。これが最善手よ」vol.08, l.3934

奉仕部延命の最善手。

5. 雪乃は八幡への協力の依頼を躊躇し、陽乃は八幡に協力を求める機会を消す。

「そんなうわべだけのものに意味なんてないと言ったのはあなただったはずよ……」 / 「変える気は、ないのね」 / 「……ああ」vol.08, l.1585

雪乃は八幡を責めてはおらず、かつ八幡が肯定した後の雪乃の描写がない。であるから 静かに、雪ノ下雪乃は決意する。vol.08, l.1366 という表題を考慮して、この章の、恐らくはこの応答で、生徒会長選に立候補する上で、雪乃は八幡に協力を求める事を諦めている。

「うわべだけのもの」という言葉を、八幡や読者は人間関係と捉え、雪乃は奉仕部という箱の意味で使っている、だろう。

「あなたは、何もやらなくていいんだもの。いつも誰かがやってくれるんだもんね?」vol.08, l.2336 / 「そう。そういうこと……」vol.08, l.2341

八幡の視点では葉山と陽乃の間に雪乃に関する企みは観測されない。陽乃の意図は雪乃の自立、陽乃への依存癖の快復、のための挑発だろう。しかし、雪乃は何かを理解あるいは誤解する。

すなわち、雪乃は結衣や八幡に協力を求めようとしてしかし躊躇していた。が、陽乃の挑発により、生徒会長選立候補は陽乃からの独立という意図が生まれてしまった。雪乃は生徒会長選挙に関して結衣や八幡に協力を求められなくなった、 すなわち陽乃はまちがっていた、だろう。

6. 雪乃の生徒会長選立候補が暴かれる。

「姉がああ言ったからか?」 / 「これは私の意思よ」 / 実際のところはわからない。vol.08, l.2616

八幡がまちがっている。雪ノ下は嘘をつかない。立候補の決意自体には陽乃は無関係。

「私が一人でやるのなら誰かと足並みを揃える必要もない。他の役員もモチベーションは高いでしょうからこれまでの行事とは違ってスムーズに、効率よく進められるはずよ。」vol.08, l.2644 / 下へ向けた顔には物悲しさと、悲壮な決意が滲んでいるようだった。vol.08, l.2645

雪乃は結衣や八幡と一緒にやるのなら足並みを揃える、と言いたい。結衣や八幡ならばモチベーション高くあってくれる、とも信頼している。

「……それに、私はやっても構わないもの」vol.08, l.2341

雪乃の本音。雪ノ下は嘘をつかない。

「そっか……、ゆきのんは、そうするんだ……」vol.08, l.2682

結衣が雪乃と問題意識が共通だと考えている、ということ。であれば結衣が雪乃の立候補の理由を「八幡の自己犠牲的な手法を止める為」だと考え、奉仕部の存続という目的を持っていないと考えた、ということ。

言い換えれば、結衣にとって、奉仕部の終焉自体は問題ではない。結衣にすれば奉仕部が無くとも雪乃や八幡との人間関係を維持できる。

問題を与えられなければ、理由を見つけることができなければ、動き出せない人間がいる。未だ不確かではあるけれど、それでも確かに想いがあって、だがその不確かさゆえに動き出せない人間がいる。vol.08, l.4090

すなわち、雪乃は奉仕部の生徒会への移行を以前から考えていた。

しかし、陽乃の 「あなたは、何もやらなくていいんだもの。いつも誰かがやってくれるんだもんね?」vol.08, l.2336 という言葉により、生徒会立候補は雪乃が陽乃からの自立するという理由を兼ねてしまった以上、生徒会長選について、八幡や結衣に助けを求める事ができなくなった。

よって、雪乃は八幡や結衣に自身の立候補の意図を明かすことがなかった。

7. 謎解き

「わかるものだとばかり、思っていたのね……」vol.08, l.4069

以上の経緯を踏まえて、「誰が、何を、わかるものと思っていたか」をまとめる。

「誰が」

「いつも、できているつもりで……、わかっているつもりでいただけだもの」 / 彼女のことか、それとも、俺のことだろうか。ただ、きっと同じだと思った。わかるものだとばかり、そう思っていたのは果たして誰だったのかvol.09, l.2544

「誰が」の解。雪乃と八幡の双方。

「何を」

問いは描かれず、解のみが複数明示されている。それらを包括してしまえばやはり「八幡と結衣が、立候補の意図を」「雪乃が、アイデンティティを」となるだろう。

あるいはさらに雪乃がアイデンティティの獲得を志しているという表現は複数見受けられる。