「今はあなたを知っている」
「...でも、今はあなたを知っている」vol.06, l.3971
この台詞は 「あなたのことなんて知らなかったもの」
vol.01, l.0846 と対を為す。1巻のこの台詞が叙述トリックであったこと、 雪ノ下雪乃ですら噓をつく。
vol.05, l.2325 がまちがっていたこと、を示す。
八幡は、雪乃は 自らに決して嘘をつかない。
vol.01, l.0713 と考え、 雪乃の 「虚言だけは吐いたことがないの」
vol.01, l.3264 という言葉を信じていた。
しかし陽乃に雪乃が事故の当事者であった事を指摘され、 やっぱり、雪ノ下は知っていたのだ。
vol.05, l.2068 という考えに至る。ここまでは正しい。
しかし、雪乃の 「あなたのことなんて知らなかった」
vol.01, l.0846 という言葉を嘘だ、と解釈した。よって、八幡は、 雪ノ下雪乃ですら噓をつく。
vol.05, l.2325 、という結論に至った。
もう一度、問い直そう。正しい答えを知るために。vol.06, l.2398
八幡は、自身が雪乃に押し付けていた理想像を剥がし、新しい雪乃像を知ろうとする。これ自体は八幡が雪乃に一歩踏み出す行為ではあって、正しい行為である。
世界が終わったあとも、きっと彼女はここでこうしているんじゃないか、そう錯覚させるほどに、この光景は絵画じみていた。vol.01, l.1218
八幡と雪乃は出会った頃の状況と会話を繰り返す。
ここで雪乃は八幡の評価を反転させている。 「嫌われまくるより、いくらかいいだろ」
vol.01, l.0662 と言った八幡は今や 「校内一の嫌われ者」
vol.06, l.3922 である。雪乃がかつて嫌った 「弱さを肯定してしまう部分」
vol.01, l.0701 も雪乃は今やそれを 「嫌いではない」
vol.06, l.3929 。これらは「あなたのことなんて知らなかった」が「今はあなたを知っている」に変化しているという表現であろう。
「そうよ。虚言は吐かないもの」/「いや別に嘘ついてもいいぞ」vol.06, l.3952
そのことを許容できない自分が、俺は嫌いだ
とした 雪ノ下雪乃ですら噓をつく。
vol.05, l.2325 を八幡が許容できる様になった、ということ。対人関係における成長であって、それ自体は正しい。
むしろついてついてつきまくる。それが私だ。vol.06, l.3956
それが私だ。
は、 「私はもともとこういう人間よ。」
vol.06, l.3406 を参照するだろう。八幡は「私」という一人称を使わない。
であれば、 「私はもともとこういう人間よ。」
/ ああ、まったくそうだ。雪ノ下雪乃って奴はこういう人間なんだ。
は、 「この私に、貸しを一つつくれる。これをどう捉えるかは、姉さん次第よ」
vol.06, l.3397 という雪乃の言葉を、八幡は、雪ノ下雪乃も嘘を吐く、雪ノ下雪乃も虚勢を張る、あるいは嘘を吐かないのではなく言った事を守る、として捉えた、ということ。
それが事故の顛末。/それでも彼女は俺を知らないとそう言った。vol.06, l.3963
「あなたのことなんて知らなかったもの」
vol.01, l.0846 のこと。
「知ってるものを知らないっつったって、別にいいんだ。」/長い、長い沈黙が続いた。vol.06, l.3957
雪乃が八幡の誤解を把握するまでの時間。すなわち、 「あなたのことなんて知らなかったもの」
vol.01, l.0846 についての八幡と雪乃の齟齬、八幡がその誤解に基づいて「知ってるものを知らないっつったって、別にいいんだ。」と言った事、に気付くまでの時間。
雪乃は、八幡に避けられている理由は、自身が交通事故の当事者であること、その事を黙っていたこと、だと考えていた。が、雪乃はそれら事については「知らない」とは言っていない。
雪乃が「知らない」という言葉を遣った箇所は、 「あなたのことなんて知らなかったもの。」
vol.01, l.0846 / 「私、比企谷くんのこと名前くらいしか知らないのだけれど。」
vol.02, l.1715 である。これらについて、八幡(とミスリードされた読者)は、「雪乃は八幡に会った事がなかった、顔も名前も知らなかった」と理解した。
「...でも、今はあなたを知っている」vol.06, l.3971
しかし雪乃のその発言の意図は、「事故の被害者としての八幡の 名前と断片的な印象
vol.06, l.3983 しか知らなかった」、であった。
「より正確に言うのならば、それ以上のことを知りたくもないのだけれど。」
/ 「あなたの矮小さに目もくれなかったことが原因だし、何よりあなたの存在からつい目を逸らしたくなってしまった私の心の弱さが悪いのよ」
/ 「ただの皮肉よ」
vol.01, l.0847 について、八幡はこの罵詈雑言を八幡への皮肉と理解した。しかしこの罵詈雑言は、「事故とその被害者の存在から目を逸した雪乃自身の心の弱さへの皮肉」であった。
つまり、雪乃と八幡の、 何を持って、知ると呼ぶべきか。
vol.06, l.3979 の定義が異なっていた、ということ。
だから、飽きもせずに問い直すんだ。/新しい、正しい答えを知るために。vol.06, l.3976
しかし、八幡は、雪乃像が間違っていたところで、 正しい答えを知るために
vol.06, l.2398 、もう一度問い直す事ができる。この問い直す態度が表題の ようやく彼と彼女は正しい答えを見つけ出す。
vol.06, l.3755 の正しい答え、である。
雪ノ下は嘘を吐かない。ただ、本当のことを口にしないことはある。言葉足らずで遠回りな言い方でごまかすこともある。vol.10, l.2048
あるいは 雪ノ下雪乃ですら噓をつく。
vol.05, l.2325 がまちがっている事は後に明示的に回収される。