八幡は雪乃を愛さない。
八幡は1巻で雪乃に憧れ、3巻でその好意を封じ、5巻でその理由が明かされる。
3巻での雪乃はテンプレなツンデレであり、八幡はテンプレな鈍感難聴系主人公である。残念系ラブコメとしてのミスリードを狙っているのだろう。そして5巻では、八幡の難聴鈍感はそう意図しているものであって、その理由は、八幡が、自身の理想を雪乃に押し付けていたからだ、と明かされる。
ここでは、「超人的な孤高」と「知ること」とが矛盾する為に八幡は雪乃を愛さないこと、さらに八幡が全編を通してこの矛盾を解消していくこと、を示す。
世界が終わったあとも、きっと彼女はここでこうしているんじゃないか、そう錯覚させるほどに、この光景は絵画じみていた。vol.01, l.119
八幡から雪乃への憧れは1巻で既に叙景として暗喩されている。
自らに決して嘘をつかない。/それは俺と同じだから。vol.01, l.0713
八幡が雪乃に憧れる理由も1巻で同定されている。
こいつと恋人などまっぴらごめんだがvol.03, l.1317
3巻では八幡は雪乃への好意を抑圧する。
そんな雪ノ下雪乃に。/きっと俺は、憧れていたのだ。vol.05, l.2266
がしかし5巻ではこの好意を認める。
以上、雪乃に対する八幡の態度は単純に見れば一貫しない。
思い当たるのは一つしかない。たぶん、あれだ。/戸塚のテニス勝負のときだ。vol.03, l.0931
典型的な鈍感系主人公の振る舞い。であるが、ここでは、八幡は雪乃が交通事故の関係者である可能性に気づいていて、そうは考えない様にしている、という表現である。
つまり雪乃は孤高であって交通事故の当事者であってはならない。
「お兄ちゃんにわかれっていうほうが無理か。」vol.03, l.1239
小町に雪乃と会う機会をお膳立てされ、しかし小町に同席を求める。同じく鈍感系主人公の振る舞い。
しかし、 「今日一日に限り、恋人のように振る舞うことを許可する」
vol.03, l.1313 以降、 雪ノ下は嘘を吐かない
vol.03, l.1317 付近の饒舌が八幡の高揚と自意識による抑制とを表現していよう。あるいは小町が同様に結衣と八幡を二人で行動させた場合には 「さすがにこんだけお膳立てされて何もわからないほど鈍感じゃない」
vol.05, l.1667 としている。
つまり、雪乃は孤高であって自分と交際する対象であってはいけない。
「衝動買いじゃないのか? よくわからん奴だ。ただ一つわかったのは、あの変なパンダのぬいぐるみは最初から買う予定にあったということである。」vol.03, l.1414
同じく鈍感系の振る舞い。雪乃は孤高であって、八幡に褒められたからエプロンを買う様な人物であってはならない。
八幡が雪乃を愛さない理由は下記の様に説明されている。
孤高を貫き、己が正義を貫き、理解されないことを嘆かず、理解することを諦めるvol.05, l.2260 雪乃に憧れた。
何も見てはこなかったvol.05, l.2254 、
もっと知りたいとは思わないvol.05, l.2261 。
勝手に理想を押し付けvol.05, l.2321 ていたから。
すなわち、八幡は雪乃が孤高であると押し付けて、その孤高に憧れた。八幡が雪乃への憧れを維持するならば、八幡は雪乃を孤高に保たねばならない。よって八幡は雪乃を知ってはならない。
そしてその八幡の態度は雪乃の立場から見ればまさに 雪乃ちゃんに嫉妬して憎んで、雪乃ちゃんを拒絶して排斥し始める。
vol.05, l.2026 、陽乃が雪乃に友達が居ないとした理由とほぼ等しい。
八幡が雪乃を評する 超人性
vol.05, l.2261 は、ニーチェの言う「超人」を引用するだろう。
ニーチェは、倫理や道徳とは俗人の無力を慰める詭弁であるとして、超人とは倫理や道徳を超えて力を求める意思を持ち続ける人間であって、その過程で超人は必然的に俗人と対立し理解されず孤独に至る、とする。そしてその孤高は確かに雪乃の姿に重なる。
ニーチェの超人思想に対する批判の一つに、観測者がある人物を観測し超人だと判断できるならその時点でその人物は孤独ではない、というものがある。八幡の陥った自己矛盾はこれに近い。
八幡が雪乃に押し付けた理想は下記の通りである。
嘘を吐かずvol.05, l.2263
理解されないことを嘆かず、vol.05, l.2260
理解することを諦める。vol.05, l.2260
先に述べた通り、雪乃にこの理想を押し付けた状態では、雪乃と交際する事は矛盾を起こす。八幡は 理想を押しつけまいと決めたのだ
vol.06, l.3954 として、この矛盾を克服すると決める。
例えば、八幡は雪乃を 寄る辺がなくともその足で立ち続ける
vol.05, l.2265 と評していた。この矛盾の克服後、後に、雪乃は自身を 「寄る辺がなければ、自分の居場所も見つけられない」
vol.11, l.3742 と評する。しかし八幡はそれに対してなんら反応を示さない。
八幡は 何よりこの女は嘘をつかない。
vol.01, l.3135 という理想を雪乃に押し付けた。八幡はこれを自力で引き剥がす。 「知ってるものを知らないっつったって、別にいいんだ。許容しないで、強要するほうがおかしい」
vol.06, l.3956 として、 雪ノ下雪乃ですら噓をつく。
vol.05, l.2325 を許容する。
但し、この 「雪ノ下雪乃ですら嘘をつく」
vol.05, l.2323 という結論自体はまちがっている。 「雪ノ下雪乃ですら噓をつく」はまちがっている。 参照。
八幡は海老名に嘘告白する理由を 正直なところ、あまり言いたくなかった。
vol.07, l.3017 として説明しない。しかしここでそれを説明しなかったことが、 「あなたのやり方、嫌いだわ」
vol.07, l.3088 / 「人の気持ち、もっと考えてよ……」
vol.07, l.3128 の決裂に至る。
「本物が欲しい」の段階では「理解されないことを嘆かず」は解消されない。 俺はわかってもらいたいんじゃない。自分が理解されないことは知っているし、理解してほしいとも思わない。
vol.07, l.3076 という状態である。
「雪乃が八幡を理解していない」という状態に対して、八幡が自身を理解されたい、自身の考えていることを伝えよう、と考えるのは、 理解が得られるかどうかは別として、彼女には知っておいてもらいたい。
vol.13, l.1239 であろう。あるいはさらに結衣や雪乃であれば自身を理解することを諦めない、と自覚するのは、 たしかに今俺は彼女が言葉にしてくれたことを解ろうとしている。
vol.14, l.4316 である。
八幡は雪乃の生徒会長選立候補の理由を理解しようとしない。これが 「わかるものだとばかり、思っていたのね」
vol.08, l.4069 に始まる相互理解の欠如に至る。
この、「理解する事を諦める」事の解消は、 俺はわかりたいのだ。
/ 知って安心したい
vol.09, l.3076 の自覚、であろう。雪乃が理解されない事を嘆いていないとしても、八幡は知りたいと思う、ということを自覚する。
さらにマラソン大会は全編を通して八幡が他人に進路を聞こうとして聞ける様になるエピソードである。