ミステリーとしての俺ガイル再読のお誘い 3
この章では、本稿が提案する俺ガイルの読み方の具体例を示します。結衣の初回依頼、「つねに由比ヶ浜結衣はきょろきょろしている」の章の前半部を用います。
冒頭、平塚は早々に手料理に言及します。ですから、手料理を食べさせる、というアイディアは平塚によるものです。つまり平塚はまちがった解を示します。平塚が結衣の料理の腕を知るならばこの解は取り得ません。
奉仕部を訪れた結衣を、八幡は初対面だ、と考えます。が、二人は同じクラスですし、初対面は入学式当日の交通事故です。八幡はまちがっています。
雪乃は八幡に「あなたのことなんて知らなかったもの」と告げます。これは文化祭編で回収される伏線です。ここでの八幡の理解あるいは誤解は、雪乃と八幡の初対面は交通事故であるのに、雪乃は八幡とは初対面であると装った、であるから雪ノ下雪乃も嘘を吐く、です。対して雪乃の意図は、かつては八幡の事を結衣ほどに詳しくは知らなかった、です。続く皮肉も、八幡に対する皮肉ではなく、交通事故を負い目として八幡の事を知ろうとしなかった雪乃自身への皮肉、を意図しています。
結衣は表面上は争う雪乃と八幡を楽しそう、と評します。先に述べた通りに結衣はまちがえません。
結衣は八幡を「ヒッキー」と呼び、八幡はそれをクラス内での蔑称だと考えます。が、クラスの誰も八幡をヒッキーとは呼びません。八幡はまちがっています。
「死ねと言うな、殺すぞ」は発刊当時のネットミームです。結衣はアホの子であるというテンプレにミスリードする為の導入です。そして結衣は決してテンプレ通りのアホの子ではありません。
魚そのものを与えるより魚の獲り方を教える、という奉仕部のミッションは、物語を通しての布石です。文化祭編での雪乃は、このミッションに反するために、八幡らにも読者にも「雪乃がまちがっている」ことが解ります。あるいはプロム編においても、この魚とは「本物」であって、獲り方とは「疑い続ける」ことです。
結衣は八幡を見ながら唐突にクッキーに言及し、八幡は自分はクッキーではない、と考えます。八幡がまちがっていて、クッキーとは八幡のことであるとするなら、クラスのヒッキーの言い間違い、なのでしょう。つまり、平塚が「手料理」としたものが、結衣の言い間違いによって「クッキー」になった、のでしょう。
結衣の依頼に際して、八幡は席を外します。このとき八幡は空気を読んで自ら離席した、俺が女子なら絶対惚れる、と考えます。しかし実際には雪乃が八幡に教室を出る様に指示していますので、八幡がまちがっています。同じく八幡はまちがっていて、この時点で既に結衣は八幡に惚れている、のでしょう。
教室から出る八幡に、雪乃はジュースを買って来る様に指示します。八幡はそれを使いっ走りと理解します。八幡がまちがっているとするなら、雪乃は、八幡に教室に戻って来させること、を意図しているのでしょう。
八幡は、結衣が奉仕部の最初の依頼人だ、と考えます。しかし平塚は、八幡の更生が雪乃への最初の依頼である、と発言しています。八幡はまちがっています。なおこの平塚の発言はさらに、1巻末で八幡と雪乃の勝敗について、平塚が計四戦で二勝ずつと評価するその根拠ともなります。八幡と雪乃の互いの更生でそれぞれ一勝ずつ、結衣の依頼である「八幡と仲良くなりたい」は双方勝利、材木座の依頼にはそもそも解決できる悩みが存在しませんから双方不戦敗、となります。なおテニス対決には平塚は関与していません。
八幡は結衣に「男のカフェオレ」を購入します。「男の」ですから、結衣を異性として意識していない、ということでしょう。八幡はまちがっています。
八幡は教室に戻り結衣に飲み物を渡します。八幡は結衣の笑顔について百円の対価としてはもらいすぎだ、と評します。八幡がまちがっているとするなら、結衣が喜んだ理由は、例えばそれが八幡からの初めての贈り物だから、です。
飲み物を渡したときの結衣の感謝と、雪乃による八幡の不在への感謝は、対句となっています。この強調はミスリードの存在を示します。雪乃は本当に八幡に感謝しています。
雪乃は結衣の願いを、クッキーを食べて欲しい人がいる、けれど自信がない、と説明します。雪乃は「八幡に」と「仲良くなる」という言葉を隠している、というトリックです。が、そもそも結衣の本当の目的は「八幡と仲良くなりたい」であって、「手料理」は平塚が用意した手段です。「結衣の作ったクッキーを、結衣の意図を秘して、八幡に試食させる」という雪乃の計画は、その手段を満たしますが、結衣の目的を直接的には満たしません。雪乃は目的と手段とを取り違えていて、まちがっています。
以上示した様に、俺ガイルの本文には、隙あらば何かが仕込まれています。俺ガイルという小説はそう書かれています。
それに応じて、八幡の地の文を疑う、登場人物の言葉を疑う、読者自身の理解がまちがっている可能性を疑い続ける、という姿勢が、本稿が提案する俺ガイルの読み方、です。