折本かおりは奉仕部の現在未来を映す。

折本かおりは奉仕部の現在未来を映す。

中学生当時の八幡にもっとも好意を表明した異性。であるけれども、しかしそれは折本にとっては知らない人間に対するデフォルトの振る舞いであって、折本は八幡を好きでも嫌いでもなく知らなかった、というのが本編開始前のエピソード。

八幡が結衣の好意を拒否するその直接的な理由となる事件だけれども、けれどそれが断片的にしか語られない。回想シーンがない、それはもう理解も問い直しも取り返しもできない、という省略がとても俺ガイルらしい。

折本は最後まで八幡に興味がない。俺ガイルは「好きの反対としての興味の無さ」が人間関係に現れるケースが多い。陽乃から見た葉山はそれがもう露悪的なまでに強調されてる。あるいは結衣やいろはの材木座や遊戯部に対する扱いの酷さもたぶんその種類。それに比べれば折本の興味のない相手の扱いは自然体でドライな感じで収まってる。

だから友達はともかく折本本人は多分とてもいいひと。誰にも好意的に振舞えるひと。誰とも敵対する必要のない環境で育ったような、親や親族にとても愛されて育ったような。実際に八幡の断片的な情報から推定できる様な人間関係スキル全振りの薄い人間ではない、という辺りが俺ガイル結で開示されてる。

八幡と折本については現在の姿だけが語られる。けれどその現在の関係は、6巻での八幡と雪乃、プロム編や俺ガイル結でのバッドエンドルート、を示す。なにげ重要人物。

つまり、八幡と折本の関係性は、八幡と誰かの関係性に相似する、様に設定されている。

バレンタインやプロムでの八幡から見た折本は「たまになんかで顔合わせて、世間話のひとつもして」という、バッドエンドした場合の雪乃や結衣と八幡の姿、だった。って俺ガイル結で結衣が言ってた。

八幡から見た折本、「興味がないからこそ好意的な振る舞いを取る」という態度は、川崎沙希から見た八幡と相似する。

そして、過去の八幡から見た折本の姿は、現在の雪乃から見た八幡に相似する。八幡は文化祭スローガンで雪乃を救い、しかし直後に相模を救う。だから雪乃から見た八幡は、知らない誰かでも助ける。というのが雪乃から見た八幡。これが「本当に誰でも救ってしまうのね」という意味で、だから雪乃は「いつか私を助けてね」と言ったのだと思う。

さらに、八幡から見た折本の現在の姿は、結衣から見た八幡の将来の姿に相似する。つまり、八幡から見た折本はスマフォの連絡先から折本を消してしまう程度の距離感であって、それは、奉仕部の関係性が進展しなかった場合に、八幡は奉仕部の自然消滅を受け入れる、事を示す。結衣がこれに衝撃を受けて行動するという展開が俺ガイル結。

渡航様は「男の子は誰しも過去に折本がいるんだよなぁ」を繰り返している。「自分に好意的な振る舞いをする異性を恋愛の対象に選ぶ」という事だろうかね。