ふと平塚静は哲学について説く。
物語上の正答、あるいは社会通念上の正答、を言語化する役割。兼、少年を無責任に導く謎めいたお姉さん。あるいは次巻予告役。
教師役と先輩役を一人が担うのは正しいだろうか、相反するよ、がずっとひっかかってる。正論を語るべき立場の教師が、正論だけでは語れない人生を語っちゃいかんだろという。警察がパチンコ屋に天下りしてる的な違和感がある。もしかしてタバコが教師役ではないよアピールだったかな。
「正答を示す」と「読者の感情を肯定する」が、俺ガイルの場合には等しい。「謎めいた」が「社会通念上普通の事を言う」と等しい。すると、本来は言いづらいことを告げる役割であるはずの教師役が、まちがっている八幡を見て読者が抱えるフラストレーションをそのまま八幡に告げる存在、になる。だから読者視聴者は静ちゃんに好意持って当然ではある。
ところが、ある程度大人になって、自己責任で社会に逆張ることを覚えた人間には、静ちゃんは典型的な教師、鬱陶しくて胡散臭くて無責任な存在、いつか静ちゃんを裏切る事が成長を意味する存在、に映る。まちがった事教えても教師は責任を取らないっていうアレ。そして本編でもその裏切りこそが「だから疑い続けます」という表現だった、と思ってる。
実際のところ心地良い事言ってるだけで本当に物語上正しいことや教育上良いことを言っているかどーかは良く解らないのよね。例えば雪乃や八幡を「優しくて正しい」と評する、その具体的な意味が、物語上の価値が解らないんだ。
とはいえ私は平塚センセ自体は肯定派。嘘告白からクリスマスイベントまで、八幡らに充分な機会を与えているところ、が一番好き。八幡がまちがえてもまちがえても奉仕部修復の機会を提供してる。というかそもそも7...9巻はその見守る平塚センセを描く物語だったかも知れん。そゆ意味ではプロム自粛要請に対するダミープロムという解はほんとに平塚への卒業制作だったね。でもそもそも「機会を与えて育てる」は企業のリーダー職の部下育成方針、つまりは先輩のやることであって教師による教育ではないんだ。
平塚は本当は八幡だけにではなく他の人物にも助言叱責はしていよう。けれども雪乃にもいろはにも平塚の影響は見えない。例えば夏休み明けに平塚は雪乃を心配しているし、生徒会長戦後に報告に来た雪乃にも明らかに干渉しているのだけれども、それで雪乃にどんな影響があったかが解らない。「八幡はそれらを知ることがない」という設定なのでしょう。ついでに採点基準は「設定がない」という設定かな。
平塚が恋愛に関して何らかの過去を持つのは確かで、でもこれも八幡は知ることがない。たぶん静ちゃんルートが閉じた『それでも私はずっと待つよ、だから言葉にしてくれ』ってつまり平塚の過去の彼氏は別れの言葉を言葉にしていなくて静ちゃんはそれを待っていた、と妄想してみる。なんなら静陽はあり派。
ところで、本物とは脱構築で共依存とは記号論だった、なんてこじつけは絶対にまちがっていて、勝手に似てしまっただけの言葉の一人遊びの収斂進化の結果、ではある。のだけれど、でも、「見せつけてくれ」「やってみます」という会話の結果が、百年分の哲学の進歩に相当してしまうとすれば、これはもう静ちゃんが裏ヒロインでいいんじゃないだろうか。