こう見えて雪ノ下陽乃もまちがっている。
なんでもソツなくこなしちゃう面白みがない人間。理性の化け物で自意識の化け物。つまり陽乃の他人評は正確ではあってだけどほとんど自己紹介。嫉妬されて憎まれて拒絶されて排斥されてると自分では思ってる。そうやって変に悟って諦めている繊細な子だから気をつけてあげてね。
なんでもできるのに何もしない。能力も金もあるからすべき事がない。諦めてるからやりたい事もない。享楽的で刹那的で退廃的で堕落した放蕩者。実力主義者で個人主義者。デカダンこじらせたネオリベ。そりゃ友達いないわ。いないよ。
犯人でトリックスターで邪智暴虐の王。とかいーつつはるのんの悪巧みはあんまりうまくいかないのよね。相模だけサボらせよーとしたら準備委員会全員でサボられちゃったり。新設の地域賞の存在を知らずにさがみん失踪させたら洒落にならなかったり。「共依存」とかいうハッタリで八幡を雪乃から引き剥がそうとしたら八幡はその言葉に縋って雪乃に絡んだり。そして「本当にいいこと言うね〜」とか「今回はそのお願い聞いてあげる」とか「やるじゃん名探偵、大正解」とか、そのミスが意図的だったみたいにうまく収拾しちゃう。ミスなのか、ミスに見せかけた故意なのか、意図的なミスなのか、ミスの収拾が上手いだけなのか、完全なブラフなのか、たぶんどんなに読んでも解らないから読んでてこまる。
はるのんは読んでてこまる。嘘と誤答と冗談と正答とが等確率だから。「わたしも見てて楽しかったよ。よかったよかった」は本当の事を言っていない。「進路もそっち系を目指すんでしょ」は誤答。「やっぱり逃げてきた」は推測混ぜた冗談。ついでに「実質的なゼロ回答だったでしょ」は真偽不明。だけれど「ただの代償行為でしかないんだから」は真実。どの言葉を信じてどの言葉を疑えばいいやら。少なくともわずか2シーンでこんなことが連続する訳がないので、著者が陽乃は信用できない人物だとそう意図して書いているのでしょう。どうキャラクター設定したらこんな人物像が産まれるのかは知らん。
だけど「雪乃を愛している」事についてだけは信じられる。陽乃は雪乃に自立、陽乃からの独立、を促して、一方で、雪乃を周囲の悪意から守ろうとしているひと。文化祭の委員長やれ、生徒会長になれ、はつまり雪乃に依存癖を改めろ、自立しろ、と言っているのでしょう。時折八幡らと敵対してしまうのは、陽乃から雪乃へのその愛情が共有されてないから。だから八幡も結衣も陽乃も(ははのんも)雪乃の味方なんで話し合えば分かり合えるし協力もできるんだ本来は。たぶん。
実際はるのん(やははのん)は社会人なら好きになれるよ。彼女らの話法、交渉や説得の技術は渉外やセールス分野では必須、というかむしろ相手がこゆプロトコルに則ってくれるだけで安心できる。 本人が一番言われたくない言葉をわざわざ選ぶのが、雪ノ下陽乃のやり方だ。
vol.Y2, l.3107 とか表現されてた。「一番言われたくない言葉」を言ってもらえるならば少なくとも気にかけてもらっているという事が解るのです。
というか好きすぎて「ひゃっはろー」初出(6巻)前にはるのんが「やっはろー」聞いた事がないか探しちゃった。なかった。
でもはるのんが雪乃に干渉する、課題を出す、のは捻れた愛情表現であって、教育は目的ではない、手段に過ぎない、と思う。雪乃に嫌われてしまっているから教育を擬する以外に雪乃に関わる言い訳がなかったんだきっと。嫌がってもらうこと以外に反応してもらえる手段がないんだ。そして雪乃が自立しようとするならもう陽乃には雪乃に関われる理由が残ってないんだ。というプロム時の八幡と雪乃の構図と同じかなと。根拠なし。バレンタイン前の「今だってどう振る舞っていいかわかってないんでしょ?」なんかもう動けない雪乃を見かけて助けに入ったけど悪態つく以外にどう振る舞っていいかわからなかったのでしょう。雪乃が「姉さんが今までやってきたことなら大抵のことはできる」のだから、はるのんがここで何かできるのなら、それは雪乃にもできるはず。
誕生日は 7月7日
vol.06, l.2014 。雪乃の生まれた日には雪が降っていたらしく、ならば梅雨の晴れ間に生まれたから陽乃、なのかな。
「本当はもうちょっと上行きたかったんだけど親に言われてねー」
vol.05, l.1986 という理由で志望大学を概ね東大理一から千葉大工学部に落としてる。これだけ差があると周囲の学生との会話は楽しくはあるまい、人付き合いする価値のある人間さえ見つかるまい。だからこそ友達はいないし雪乃には本物の人間関係を持たせようとする、までもが解る気がする。そしてこの台詞はブラフの可能性も高い。学歴コンプレックスをピンポイントでつつく台詞だっただけに界隈の被害甚大。
アンソロで突然留学を訴える。さくっと「留学する」と言えてしまうのは維持したい人間関係がない、友達がいない、からである。いないよ。だけれど「留学する」という行動は陽乃が救われた表現なのだと思う。陽乃は雪乃を傷つける人間を許さない、だから陽乃は自分自身を許さない。だから陽乃は自分自身に興味がない、陽乃は興味がない人間には何もしない、だから陽乃は自分に何もしない、だから陽乃は享楽的で刹那的。なんてあたりを踏まえて、その享楽的だったはずの陽乃が、「留学する」なんていう自己投資を始めることは、雪乃が八幡という本物を見つけたことでどれだけ陽乃が救われたか、という表現だと思うのだけど、どうだろう。一度良い夢を見た程度でシンジツの存在には納得するまい、とも思うけどさ。
「うちの問題に口を挟む意味、解ってる?」として陽乃が八幡に要求する価値を強引に金額に直せばえいやで数億円くらい。だから八幡の「仕事と言われれば働く」という性格が雪乃母に響いたり、葉山がなんとなく将来の婿/嫁として擬されているという状態が生まれたりするのです。たぶん。
雪ノ下建設(仮)、地場系建設業、ゼネコン準大手、の創業者一族の総資産、株式の時価総額の1割、が 100 億円だとして、陽乃や雪乃がじじのん(仮)から相続する額は 10 億円くらいになってしまうのだけれど、すると結婚して半分だとしてキャッシュで5億円。もちろん遺産自体は財産分与の対象ではないけれど、でも離婚時の慰謝料や養育費は資産に比例するからね。あるいは雪ノ下建設の配当が年間 4% で世界経済のインフレ率が年間3%だとして手取り1000万年収1500万円相当くらい。いずれにしても雪ノ下家御令嬢の結婚のお相手は東大卒して大企業部長ルートでも足りないくらい。陽乃の「覚悟決めてね?」はその数億円以上に価値のある人間になれということ。無茶ゆーな。
逆に富裕層がなんとなく子供の頃から婚約者を想定するのは財産分与がきついから。数億円の損失リスクを無視できる程度に馬鹿でない限り結婚できないから。富裕層が言う場合の「家族ぐるみの付き合い」という表現は「互いに離婚させない暗黙の合意」を暗喩してたりする。陽乃雪乃と葉山も多分これね。