由比ヶ浜結衣はたぶんまちがえない。
まちがっている青春ラブコメの被害者。かつ既存ラブコメの勝ち確要素全搭載。
1巻のクッキー作りは結衣の好意に気付かない八幡が結衣に無責任に酷いことを言う話だった。9巻以降は「本物」を求める八幡に対して、その本物に自身が含まれないことに疎外感を覚え続ける。でも八幡はそれに気づかない。八幡が考える本物の基準を結衣は初めから満たしているのに。
バレンタインで「期待して甘えて委ねて待ってていたいもんだ」「それではいけないと思う」とかなんとか言って結衣をデートに誘いつつその後は期待して甘えて委ねて待ってるとか。葛西臨海公園では結衣に「お前本物じゃねーから」と言った後に「俺は泣いてないといーなあ」とか。「お前はそれを待たなくていい」と言った直後に「煙に巻いて逃げの一手を打って笑って許してもらう」八幡が最高にひどい。新では結衣が八幡を「クズなんだよね」と言ってた。
八幡はほんと自己矛盾に気付かないし「八幡が結衣に何かやらかした」場合にもそう表現されない。読者はふつー気付かない。自分で考えなければ解らない。考察クラスタに結衣派が多いのはそれに気付くからじゃないかな。知らんけど。
とはいえ2巻から9巻までは本当にただの舞台装置、狂言回し。すれ違う八幡と雪乃とを翻訳したり、海老名の意思に反して戸部の依頼を受けたり。人間関係に悩む葉山を完全放置してたりもするし。結衣にとって葉山戸部海老名は三浦に引き込まれただけで割とどうでも良かったのかも知れない。三浦は男避けには都合が良かったみたい。まあ葉山も結衣の八幡への好意知ってて結衣に「がんばれよ」と応援しつつその挙げ句単に八雪見ても「熱いな」だしな。お互い様か。
結衣が自分で動き出したのは11巻から。11巻以降は同じシナリオ選択型ノベルゲーのもう一方の主人公に見えるくらいに動いてる。プロム篇の主人公は実は結衣だたぶん。奉仕部を守ろうとして暗躍してるのはまあ誰でも解るとして。八幡の友軍誤射と雪乃の自棄をパリィしながら最善の行動を探し続ける、みたいな感じ。ダクソ級死にゲーなのにまちがえない程度の能力持ちで実質無敵。13巻の対陽乃戦で痛いからバリアで共依存の呪いをキャンセルする瞬間が結衣最大の見せ場だわね。
結局描かれなかった八幡から結衣への感情は、6巻までは「好きになってはいけない」なのは多分あってる。その理由は雪乃とは違って、いつか裏切られる的な恐怖もありつつ、むしろ八幡自身も孤高であらねばならないという自意識だろう。「こっちから行くの」以降は「相手の好意に応じようとしている」が一番近そう。でもそれは雪乃は手に入らないから代わりに結衣で模造品狙いとかいう代償行為。ほんとひどい。とはいえ個人的にはその能動こそが恋だと思う。
結衣が雪乃に言った「気持ちを貰って?」がなんとなく解る気もしたりする。葛西臨海公園で結衣が訴えた「全部欲しい」は多分結衣も八幡も雪乃も全ての好意が表明されてる状態のことなので、アンソロのあのハーレムこそが結衣が一番欲しかった状態なのだろうなと思う。私はちょっとだめなくらい倫理観や貞操観念が欠けてて、その私には友情と慕情とが混在したグループでこそ得られる愉しさは確かにあった。友人を共有できる恋人が理想的であることは誰でも容易に想像できるとして、その逆ね。なので私はアンソロのハーレム肯定派。あーなるとずぶずぶ爛れて気持ちいいしそー簡単には別れない壊れないよ。というか全員連れて東京に出ましょうよゆきのん。
新クラスが八幡とも姫菜とも異なる。けれども彼女は新クラスで人間関係を作る事には問題がなかろう。そして結衣に好意を持って八幡を敵対視する他クラス男子。でもその彼の前に何故か立ちはだかるサッカー部と生徒会!
受験が近くなって部活が終われば八幡や雪乃との接点がなくなる事は変わらない。同じ大学を目指して受験勉強を頑張り始めてあわよくば合格して、でもそれ以降疎遠に、なパターンな気がする。その回避のために一人暮らし始めた雪乃宅に同棲する未来とかだと私が喜ぶ。いっそ雪ノ下選挙事務所で雪ノ下雪乃議員の会計になろうよ。
「八幡は雪乃しか見ていなかった」という解釈は絶対にまちがっている。下記に反例を引用する。
それが憎からず思っている相手であれば、なおのこと。/
本当に、心が揺れる。vol.12, l.4075
天使の輪が輝く華やかな茶髪や潤んだ大きな瞳、鎖骨の窪みや耳にかかった髪をかき上げる指先、綻んだ口元と艶めいた唇、しなやかな曲線を描く長い睫毛、少し朱がさした柔らかそうな頬/
なんかもう恥ずかしいと言うか照れくさいと言うか、とにかく由比ヶ浜の顔を直視できない。vol.13, l.1791
由比ヶ浜は体育座りで膝を抱え、小首を傾げて俺を見つめていた。/
なんかさっきから妙な多幸感があるvol.14, l.0679
俺は世界でただ一人、この子にだけは嫌われたくないからvol.14, l.4231
彼女に少しでも良いところを見せようとしてしまう。vol.14, l.4270
7巻以降に雪乃、八幡、結衣の造形が解体再構成された。この造形のモチーフの一つに青少年の成長モデルがあると考える。中学生から高校生にかけての成長過程では、「社会性の獲得」と「自我の確立」とがそれぞれ独立に行われ、それぞれで典型的な行動が異なり、適した指導も異なる、というモデル。
例えば八幡は強い自我を持つが社会性を持たない。視野が狭く行動の選択肢が少ない。集団への参加を通して価値観の多様性や柔軟性や他者の視点を獲得する必要がある。
結衣は社会性を持つが自我の獲得が途上。協調性は高いが自己主張しない。自身でやり抜く経験を持つこと、目的意識を持つこと、が必要。
雪乃は社会性の獲得も自我の確立も途上。典型的に自分の意志が薄弱で他者への依存が強く、成功体験を通しての自律の獲得が必要。ぶっちゃけ雪乃は(陽乃も)社会性も自我も必要ないくらいに美しくて金持ってて頭も要領もいい上に親譲りの権力もある、のでしょう。笑顔と金と暴力は世界の共通語。そして彼女たちは全部もってる。
社会性の獲得も自我の確立も完了した例はいろはだろうかね。
とかなんとか本当はこの種の牽強付会感のあるうさんくさい話は引用元書いて責任押し付けたいところだけれど、つまりこれはどこかで読んだ本の転用なのだけど、調べるの面倒くさいし散文なのでいいことにする。軽く検索した範囲で https://berd.benesse.jp/berd/center/open/report/21seikigata/2002/05/chap05_03_06.html の内容がほぼ同じ。
その成長モデルはともかく、10巻以降では彼ら彼女らが成長する姿が描かれている、のは確かでしょう。雪乃の成功体験はプロムで、八幡の対人スキル獲得はマラソンでの進路インタビューで、結衣のやり抜く経験はクッキーで。奉仕部のあるいは平塚の目的は、彼ら彼女らに成功体験と集団行動とをもたらすこと、まではさすがに後付けが過ぎるか。